あかりんの事
去年(2017年)の7月、あかりの呼吸がおかしくなりました。
熱中症の可能性もあった為、部屋の温度を低めに設定して仕事に。
夜帰宅しても呼吸は一向に収まっておらず、緊急に駆け込みました。
直ぐに酸素室に入室。そのまま入院。
その時のレントゲンで肺が真っ白に写りました。
先生から告げられた可能性は心臓の病気かガン。頭が真っ白になりました。
翌朝の検査の結果。
出た答えは悪性リンパ種。しかもすでに血中のリンパに亜種が出ているステージ5。
抜けた胸水は50㏄ぽっち。レントゲンに白く写っていたのは殆どが腫瘍と考えられます。リンパ腫の場合、腫瘍の摘出は難しく、しかも肺。抗がん剤治療かステロイド投与しかありませんでした。
にゅっ!!! (写真は元気だった頃のものです。)
保護主のにゃん太大先輩に連絡。
このまま、あかりをウチの子として一緒に過ごさせてほしいとお願いしました。
まおさんが酸素室を貸してくださり、お友達がちゅ~るやサプリ、美味しいご飯を沢山送って下さいました。沢山のアドバイスもいただきました。
あかりんの性格上、週一回の抗がん剤投与の為の通院と入院は耐えがたいと考えられ、1回の抗がん剤投与とステロイド投与をすることにしました。
そのまま、抗がん剤を投与してもらい、翌々日に退院。
少しずつ、元気になりご飯も食べれるように。呼吸も落ち着いていて、この時間がずっと続きますように、と願わずにはいられませんでした。
ぴったりにゃん♡ (写真は元気だった頃のものです。)
1週間後の経過観察の通院の後、状態は急速に悪化。
徐々に食べられる量が減ってきました。
その1週間後、呼吸が一気におかしくなり、酸素室へ。
でも、嫌がって出ようとします。少しでも楽にしてあげたくて、病院に連れて行こうとしたのですが、つらい体で必死に逃げようとし、酸素室に入れればパニックを起こし過呼吸になります。
酸素濃縮器のチューブを延長し、その先に緑のタヌキをつけて、酸素マスク状態にして、あかりんの口元へ常に運ぶようにしました。
先生に相談し、皮下注射でステロイドと吐き気止め、補液を入れる事に。
そのころには固形物は食べられなくなり、水を飲んでもえづくようになりました。
強制給餌もトライしたのですが、あまりに嫌がり、しかも戻そうとする為、かえって消耗し、私との関係も悪化するために断念。ちゅ~るやスープ、水分をほんの少し、シリンジで口の中に流すだけにしました。
ナデナデって気持ちいいにゃよね~ (写真は元気だった頃のものです。)
何度か発作のように呼吸が荒くなり、そのたびに口元に手作り酸素マスクを運び、大丈夫よ、大丈夫、落ち着いて~と声をかけながら、撫でてあげると落ち着く、そんな繰り返しでした。
私が仕事の時は、かっちゃんとしゅりちゃんがずっと寄り添ってくれました。
最後の3日間は流石に呼吸が苦しくなり、自分で酸素室に入るように。
扉は締めず、好きな時に出入りできるようにしておきました。
病名が分かった時、最悪安楽死を考えるほどに苦しむ事があると知りました。
願うことは、ただただ、あかりんが少しでも楽にご機嫌さんに過ごせることでした。
そんなか~しゃんの気持ちが伝わったのか・・・・
あかりんは、そこまで苦しむことなく、最後は少し呼吸が荒くなって、しずかに静かにナデナデされながら旅立ちました。
あかりは良い子でしゅからにゃ~ (写真は元気だった時のものです。)
8月12日の明け方、1か月の闘病でした。
その日の夕方、にゃん太先輩が会いに来てくださり、お花でいっぱいのあかりんと一晩過ごした後、13日にあかりんをお空に返しました。
今、あかりんはkerikeri家の特等席にお骨になって鎮座しています。お供えのクリスピーは常にるりたんに狙われております(笑)
キーホルダーにお骨を少し入れてもらい、仕事鞄にずっと入れています。
か~ちゃ、大丈夫かにゃ? (写真は元気だった頃のものです。)
実はまだあんまり大丈夫じゃない(笑)
今、あかりんは私の心の小箱に入ってそっとしまってあります。
思い出すと、考えると、気持ちがあふれてしまって前に進めなくなるから。
もう少し、もう少し傷が生乾きじゃなくなったら、沢山沢山思い出すからもう少し待っていて。
PCをあけて、あかりの写真や募集記事を見て、ブログの写真を選ばなきゃと思っただけで昨晩から食欲減退で心臓が冷たい手で掴まれたようになります。
でも、みんにゃの為にも、頑張ったあかりんの為にも、か~ちゃも前に進まなきゃね。
少しずつ、ブログ再開していきます。
どうかよろしくお願いします。(*^.^*)
最後はエラそうな、るり姫で(笑)
ぽちっと応援お願いします<(_ _)>